今回スポットを当てる映画は2019年11月16日に公開された「母さんがどんなに僕を嫌いでも」
漫画家の歌川たいじが自身の壮絶な母子関係をつづった自伝的コミックエッセイを映画化した作品です。
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「母さんがどんなに僕を嫌いでも」あらすじ
主人公のたいじが母親に虐待されても、ばあちゃんや友人たちによって自我を確立し、母親と向き合い、親子としての関係を修復していく話です。
主人公の自宅で両親が工場を営んでいて、そこに勤めに来ているばあちゃんが、主人公を自分の本当の孫のようにかわいがっています。
工場の人たちにかわいがられていた主人公は、みんなが食べ物をくれるので、ちょっと肥満児。
母親は父親と上手くいかずイライラすると、主人公に豚と暴言を吐いたり、手を挙げることがあります。
父親と離婚後、彼氏は出来るも別れるたびに、情緒不安定な母親の虐待はエスカレートしていきます。
そして主人公が高校生の時、ささいなイライラから母親は、主人公に「あんたなんか産まなければよかった。死んでよ。」
と言って、包丁で切りつけます。
ショックを受けた主人公は家を出ました。
その後、社会人になり友人に恵まれ、主人公は少しずつ自我を確立していきます。
ばあちゃんが病に伏したと知り、見舞いに行った際、自分は豚だからと自虐して心を保っている主人公に対し、ばあちゃんが、「たいちゃんは豚じゃないって言って。」
と言うと、主人公は泣きながら「僕は豚じゃない。」と何度も言います。
こうして、主人公は少しずつ自尊心を取り戻していきます。
そんな頃、音信不通であった母親から連絡がきます。
晩年、一緒に暮らしていた男性が亡くなり、その人の葬式に呼ばれたのでした。
その後、母親が脳梗塞で倒れます。
主人公は、友人たちの助言のもと、母親に向き合っていきます。
そして、退院した自宅への帰り道で、母親は主人公に「あんたがいてくれてよかった。」と言います。
「母さんがどんなに僕を嫌いでも」見どころ
この映画は、虐待を受けても母親を見捨てなかった息子のお涙頂戴映画ではありません。
友人やばあちゃんとの関りから、主人公と同じような境遇にいる人たちに、人間はいつか必ず幸せになれることを教えてくれる映画です。
また、虐待をしてしまう親に、子供の悲痛な叫びを訴えています。
母親に精神的にも肉体的にも暴力を受けて、主人公の心には深い傷が刻まれています。
しかし、ばあちゃんの深い愛情、社会人になってできた友人たちが、家族のように接してくれることによって、主人公が少しずつ自我を確立していきます。
そして、大好きな母親に向きあってもらうには、まず自分から関わっていくことを、友人に教えられます。
最終的に母親は亡くなってしまいますが、主人公がこの世に生まれてきてよかったと思えたことが、同じ境遇にいる人たちに勇気や希望を与えてくれると思います。
また、子どもに手を挙げてしまう親に、なぜ自分は感情的に虐待をしてしまうのか、自分を客観視することができる映画です。
「母さんがどんなに僕を嫌いでも」感想
ふとCMで目に入った母親の虐待が、私自身子供を持つ母親として胸を締め付けられ、衝動的に観たいと思い、映画館に足を運んでしまいました。
私自身、過去にカッとなって子供に暴言を吐いたり、手を挙げてしまったりしたことがあるので、自分の姿が映し出されているようで、胸が痛みました。
この映画は、虐待で胸が痛むだけの映画ではありません。
晩年の母親は、自分を愛してくれた男によって、精神的に落ち着いていました。
この母親だけに限らないけれど、人間はどんな自分でも認めてくれて、愛してくれる存在が必要なんだと思います。
子供にしたらどんなに自分勝手な人でも、母親のことは嫌いになれないものです。
主人公は、母親にどんなにひどい扱いを受けても、母親を見捨てませんでした。
最後に、あんたがいてくれてよかったと言った母親の言葉は本物だと思います。
この時、やっと親子になれたのかなと思いました。
子供を産んだら、突然母親になります。
いくら育児書を見て勉強していても、生まれたら初めてのことだらけで、母親は不安でいっぱいです。
そんな時、父親と上手くいかないと情緒不安定になって、自分より弱い立場の子どもに感情をぶつけてしまう。
いけないこととはわかっているけれど、人間は弱いから同じことを繰り返す。
そして、後悔と自責の念にかられる。
子育てには常に悩みや不安、葛藤がつきませんが、それでも産んだ責任はきちんととらなくてはいけないと思いました。