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今回スポットライトを当てる映画は村上春樹の短編小説を映画化した「ハナレイ・ベイ

2018年10月19日に公開された。

ハワイのカウアイ島にあるハナレイ・ベイが舞台となった作品。

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映画「ハナレイ・ベイ」あらすじ

吉田洋演じるサチの一人息子であるタカシ(佐野玲於)が帰国前日のサーフィンの最中、サメに食べられ命を落としたところから物語が始まる。

サチはシングルマザーであり、タカシとは折り合いが悪かった。

タカシとの思い出といえば喧嘩や憎まれ口、といったことしか思い浮かばず、ハナレイ・ベイでタカシの亡骸と対面してもなお、感情を露わにすることもなく、淡々と火葬を済ませ帰国の途に就くのであった。

だが、その翌年からサチはタカシの命日が近づくと、ハナレイ・ベイに一人で赴き、タカシが亡くなった海を眺めながら一人本を読み、時を過ごすようになっていた

その習慣を始めて10年が経とうとしていた時、サチは偶然2人の若い日本人サーファー(村上虹郎・佐藤魁)に出会う。

サチが人と関わるのは実に珍しいことであったが、奇しくも当時のタカシと同年代であり、人懐っこい2人を放っておくこともできず、サチは少しずつ2人の世話を焼くようになる。

映画「ハナレイ・ベイ」ラスト(ネタバレあり)

そんな中、サチは2人から赤いサーフボードを持った右脚のない日本人サーファーがいる、という話しを聞く。

気が付くとサチはその片脚のサーファーを探し歩いていた。

その中でサチは、憎んでいたはずの死別した夫、そしてどこかその面影を感じ敬遠していたタカシへの自分の気持ちと向き合うこととなる。

どれだけ探しても片脚のサーファーを見つけることができなかったサチはタカシの手形を受け取りに当時世話をしてくれた警察官の妻の元へ行く。

実はタカシが亡くなった際、その妻の申し出で火葬前にタカシの手形を取ることになったのだが、サチは自分には不要だと感じ、長年受け取ろうとしなかった。

10年の時を経てその手形と対面した時、サチはようやくタカシを思って涙を流すことができたのであった。

映画「ハナレイ・ベイ」感想

この物語の中ではサチとタカシの繋がりは過去の記憶としてしか描かれていない

恐ろしいほどに綺麗なハナレイ・ベイの自然。

憎むこともできないほどの圧倒的なスケールを持つその自然によってタカシを失ったサチだが、これはその自然に対する行き場のない怒りや悲しみを表している物語ではなく、寧ろ希望の物語だったのではないだろうか

実際、サチが片脚のサーファーについての話を聞くまではサチの思考も、映画全体の時間も止まっているかのような印象を受ける。

そこには子供の死を悲しむ母親の様子はどこにもなく、サチの感情は悲でも幸でもない一定の冷静さをもって描かれている。

それは決して悲しみに蓋をしているわけではなく、本当に自分は息子を愛していたのだろうか?

と自分の感情を俯瞰して自身に問いているようにも感じられる。

だが、片脚のサーファーについての話を聞いた途端、サチはその姿を探し始める。

それは決して息子がいるのかもしれない、という感情が追い付いているというわけでもなく、ただ身体が勝手に動いているといった方が近いのかもしれない。

片脚のサーファーを探し続ける中でようやくサチの感情も、そして映像も「」を伴ってくる。

片脚のサーファーを探し回る中でサチは自分が会いたいのはタカシであり、その片脚のサーファーがタカシであることを願っていると知る。

サチ自身がタカシの遺体と対面したのだからタカシが生きていることなんてありえない。

それでも身体は勝手に動き、一目でも会いたいと願う。

この行動こそがタカシを、一人息子を愛しているという何よりもの証拠であるとサチは気づいたのではないだろうか

自分の中にタカシへの愛情があったことにようやく気づき、タカシに会いたくて探していた自分自身を認めたとき、サチはようやく手形を受け取ることを決意する。

それももはや衝動的なものだったのかも知れないが、遺体では感じられなかったタカシの死と手形を通してようやく対面することができたのではないだろうか。

サチはこの時、「あなたに会いたい」と言って涙を流す。

この瞬間に時は未来へと、サチ自身の人生として動き出したかのように思える。

きっと死よりもっと以前に止まっていた親子の時間が動き始めた瞬間だったのではないだろうか。

そして最後のシーン、海を眺めるサチの背後にはタカシの姿が映る。

サチがその存在を「見る」ことはできていないように思えるが、間違いなくそこに姿は描かれており、タカシもサチを見守り、母親として愛していたことが観ている私たちに伝わる瞬間であった。

この映画は亡くなったはずの息子が現れるというファンタジー的な要素を含んだ映画ではない。

寧ろ痛いくらいに死と向き合ったその先にある、というどこまでも現実的な物語なのではないだろうか。

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