当サイトは、アフィリエイト広告を利用しています。

本作で長編監督デビューという奥山大史監督は、こちらの作品をなんと大学在学中に作成したとか。
そのデビュー作が海外でも評判を呼び、すでにいくつもの賞を受賞しています
(第66回サンセバスチャン国際映画祭 最優秀新人監督賞/第29回ストックホルム国際映画祭 最優秀撮影賞/第3回マカオ国際映画祭 スペシャル・メンション等)。
奥山監督は今最も注目すべき大型新人映画監督です!

\無料動画を見たい方はこちらもチェック/

タップ(クリック)で目次が開きます

僕はイエス様が嫌いあらすじ

星野ユラは祖父の死をきっかけに、祖母が1人で住む雪深い田舎町へと両親と共に引っ越すことになった。
転校先は今までとは少し勝手の違うミッション系の学校らしい。

その学校では毎朝、礼拝堂でお祈りをしなければならない。
そのお祈りに戸惑うユラの前に、手のひらサイズの小さなイエス様らしき人物が現れた。
ユラはお祈りが終わった後、誰もいない礼拝堂の講壇へ上がり、再度手を組んでみる。
すると目の前にあの小さなイエス様が現れた

ユラは「友達ができますように」と祈り、礼拝堂を後にする。
ユラが外へ出たところになぜか1羽の鶏がいた。
その鶏を追って1人の男の子がやってきたのでユラは鶏小屋へ戻す手伝いをする。
彼はユラに向かって「サッカーすき?」と問いかける。
その少年はカズマといい、2人はすぐに友達になった。
イエス様に祈りが通じたかのようだった。
帰宅したユラの目の前に再度現れたイエス様。
今度は「お金がもらえますように」と祈る。

さすがにこれは無理だよね」と笑うユラ。
お風呂を出てから1人で布団を引き寝る支度をしているところへ祖母がやってくる。
「えらいわねぇ」とユラを褒める祖母が1,000円札を差し出す。
祖父のへそくりを見つけたのだという。

またある時は、カズマと一緒に流星群を見に出かけたのだが流星群はまったく見えなかった。
落胆した2人だったが、またあのイエス様がユラの前に現れた。
ユラは「流星群が見れますように」とこっそりお祈りをしてみる。
カズマは「ぜんぜん流星群見れないな」とつぶやいている。
「もうすぐ見れるよ」と返すユラ。
次の瞬間カズマとユラの前には流星群が現れ、2人は大はしゃぎするのだった。

僕はイエス様が嫌いラスト(ネタバレあり)

ある日体育の授業でサッカーをすることになった2人。
サッカーが得意なカズマは大活躍するが、ユラはまったく歯が立たない。
うなだれたユラは先生の制止も聞かず、授業を抜け出してしまう。
そのまま帰宅し、人生ゲームを1人ではじめるユラ。

教室にユラがいないことに気づいたカズマは、サッカーボールを蹴りながら1人で下校する。
蹴ったボールが道路へと転がっていく。
そのボールを走って追いかけ、追いついたカズマは猛スピードで走ってきた大型トラックに跳ねられてしまった。
病院に運ばれたカズマだったが、意識不明のためお見舞いに行くことができないらしい。
それでもこっそりとお見舞いに行くユラ。
「カズマ」と呼びかけ手に触れようとする。

その時、病室の外からカズマの母親の怒鳴り声が聞こえた。
どうやらカズマの父親と電話口で揉めているようだった。
いたたまれなくなったユラは病院を走り去る。
そして祈り続けた。
家でも教会でも祈った。
けれどそんな時に限ってイエスは現れなかった

その後、カズマは逝ってしまった。
カズマが亡くなった次の日の朝、ユラが教室へ行くとカズマの机の上には白くて大きな花が飾ってあった。
そこへ担任の先生がやってきてユラに弔辞とお祈りを依頼する。
カズマの母親たってのお願いだという。
ユラはその依頼を引き受けるが、先生に「お祈り、意味なかったです」と小さくつぶやく。

自宅で母親に添削してもらいながら弔辞を完成させるユラ。
そして花屋へ行き、祖母にもらった1,000円札で小さな青い花を3本買った。
そしてカズマの机に飾ってあった白い花と自分の買った青い花を入れ替える。
白い花は捨ててしまった。

そして教会で行われるカズマのお別れ会の当日、講壇で弔辞を読むユラ。

転校してきて初めてできた友達がカズマだったこと。
流星群を見に行ったのに、1つも見れなかったこと。
流星群が見えないのに見えたふりをしたこと。
かっこいいカズマに憧れていたこと。
大人になるまでずっと友達でいられると思っていたこと。

用意した弔辞を淡々と読み終えるユラ。
するとそのタイミングで目の前にイエス様が現れた
ユラは、それを叩き潰すようにお祈りの手を振り下ろした。
叩きつけた音が教会内に鳴り響く。

後日、自宅で朝早くに目が覚めてしまったユラ。
祖母と2人で張り替えた障子が目に入る。
そっと障子に指で穴を開け、外を眺める。

サッカーすき?」という声が聞こえる
少年が2人、雪が積もる校庭へ駆け出すところが見えた。

「僕はイエス様が嫌い」考察:画面サイズの変化

本作は画面のアスペクト比がスタンダードサイズになっており、普段見ている映画の幅よりコンパクトにまとまっています。
現在ではスタンダードサイズの幅で撮影するのは珍しいことなので何らかの意図がある訳なのですが、恐らくはユラの視点で見た時には狭い幅になっているようでした

ラストシーンではそのアスペクト比が通常サイズへと変わり、雪で真っ白に覆われた校庭を走り出す少年を高い位置から見下ろすような視点で撮影されています。

これは神、イエス様の視点で見ている構図とも考えられます
それらの画面幅の違いなどを気をつけて見ると面白いかもしれません。

「僕はイエス様が嫌い」感想

主人公のユラとカズマを始めとする子供たちのナチュラルな佇まいが心地よく感じました
いかにも「演技しています」という気負いやあざとさがないため、こちらも自然体で観ることができました。

また本作が長編初監督という奥山大史監督ですが、非常に淡々とした演出が素朴で硬派な印象を受けました。

個人的には過剰な演出で泣かせる系の作品が苦手なため、奥山監督のようにそぎ落とされた感のある作品はとても信頼ができ、それを映画館で観ることができて本当に良かった…と感じ入りました。

岩井俊二監督、是枝裕和監督の映画が好みの人にはオススメできると思いますし、ゆっくりしたテンポが苦手な人にはオススメできない映画かもしれません。

スポンサードリンク