かつて娯楽の王様とも呼ばれ、家族だんらんを象徴するものとして、お茶の間に鎮座していたテレビ。
ところが今ではネットが主流となり、一人一台が当たり前だったのは少し前までの話。
テレビを持っていない若い世代が当たり前の時代となりました。
「番組制作費の削減による質の低下」と言う字面を眼にする様になり、番組自体に夢が見られず、単なる箱モノと見られても仕方が無い状態となってしまいました。
しかしテレビにはまだ「報道」と言う、権力を監視し、時には不正を暴き立て時には国民側に立って意見を申し立てる、影響力の強いコンテンツが残っています。
ところがその報道も、政権側に忖度する偏向報道が目立つと言われ、マスメディアに対する信頼感が低下していると指摘される様になってしまいました。
報道のあり方とはどの様にあるべきか?
その問題に自ら取り組んだ東海テレビのドキュメンタリー映画「さよならテレビ」を紹介します。
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「さよならテレビ」あらすじ
「東海テレビの報道局をドキュメンタリーとして取材したい」と、報道部に在籍する圡方宏史が申し出た。
一度は隠し撮りを試みるが、上層部が断固拒否。
事前に承諾し事前公開するならOKと条件を出し、撮影が始まる。
日々の報道に追われ、叱咤激怒は日常茶飯事。
明け透けに見せてはいるが、取材対象にされる側となった事で、ぎこちなさも目立つ。
その最たる人が、ニュースを担当する福島智之アナだった。
ニュース原稿に目を通すのは勿論だが、自分がアドリブで喋る部分も、わざわざ赤ペンで原稿に書き足している。
「おかしいよね」と言う声が、スタッフからも漏れる。
思う様に報道が出来ない事を体現してしまっている福島アナ。
東海テレビには、報道を神経質に扱わなければいけない宿命があった。
2011年に生放送された情報番組「ぴーかんテレビ」で不適切なテロップが映し出され、放送倫理問題まで発展し、番組も打ち切りとなった。
その番組のMCが福島アナだった。
福島アナは、決して自分の責任では無い過去の事件の呪縛に、苦しんでいた。
「さよならテレビ」ネタバレ
帰宅中の福島アナがインタビューに応じるが、煮え切らない返事。
放送事故当時のスタッフも全員いなくなっており、拠り所も無く、葛藤で苦しんでいた。
一方、休日は地下アイドルのライブに通う番組制作会社の男・渡邊がやってきた。
報道部と馴染めず原稿のルビの振り間違え等で叱られてばかり。
独自企画も、放映されなくなってしまう。
日々苦悩し、孤軍奮闘する姿は、報道部に在籍する澤村慎太郎の眼にもしっかりと入っていた。
澤村も苦しんでいた。
自身が手掛けた共謀罪の取材が放送されたが、政府が名付けた「テロ等準備罪」と言い換えられてしまい、政権側に忖度する危機感を持たない報道部の姿勢に、更なるもどかしさを覚えていた。
ある日のニュース番組。
顔出しNGの条件で出演をお願いした医師の顔がNGになっていなかった。
早速SNSは荒れ、福島アナがカメラに向かって謝罪する。
方々のわだかまりが噴き出たかの様な事件が、生放送中に起きてしまった。
この件で更に関係者たちは、迷宮に入ってしまう。
最後に、撮影中のカメラに向かって「現実って何でしょうね」と問いかけるその姿勢には苦悩が窺えるが、それが何に対しての苦悩かが不明確なまま、フェードアウトして行く。
「さよならテレビ」見どころ4点
- 次々と映画化される東海テレビのドキュメンタリー
- ぴーかんテレビの呪縛とは?
- 3人の苦悩
- ドキュメンタリーとは?
次々と映画化される東海テレビのドキュメンタリー
東海テレビが制作するドキュメンタリーには、その切り口とテーマの掘り下げ方の深さで、定評がありました。
ニュータウンとして整備された一角に暮らし続ける老夫婦に密着した「人生フルーツ」、
真正面からヤクザを捉え、法の下にある人権を巡る「ヤクザと憲法」など、
何作も劇場用ドキュメンタリー映画となりました。
一連の作品は個性的で毒が強い事で、高評価されています。
「さよならテレビ」も、テレビ局がテレビの内部を捉えて省みると言う姿勢の斬新さで、話題になりました。
ぴーかんテレビの呪縛とは?
東海テレビの報道が自らの首を絞めている理由として、2011年8月4日に生放送された「ぴーかんテレビ」での不適切放送です。
「岩手県産ひとめぼれ10kg当選者」の発表画面で「怪しいお米セシウムさん」と、リハーサルで使用したダミーテロップが映し出されました。
東日本大震災直後の原発事故で放出されたセシウムが農作物に影響を与えると、当時は問題になりました。
しかし番組内でプレゼントしたお米は2010年度産の為、明らかな誤報の上に、大きな誤解を与えてしまいました。
東海テレビはこの反省を踏まえ、社内見学に来た小学生のお弁当に、岩手県産のお米を使用し、安全性のアピールに貢献する姿勢を見せています。
3人の苦悩
ぴーかんテレビのトラウマが抜けない東海テレビ・福島智之アナウンサー。
思う様な取材記事にしてくれない事を悩むベテラン記者の澤村慎太郎。
報道部の仕事がおぼつかず、1年で去って行く渡邊雅之。
この3人の苦悩が、ドキュメンタリーの軸となっています。
番組を卒業し、街ブラロケで明るく振る舞う様になった福島。
マスメディア関連の書籍が詰まった自宅の部屋で「自分のして来た仕事はたったこれだけ」と、ファイルボックスひと箱に詰まった雑誌や資料を見せる、50代の澤村。
報道部に慣れないまま終わり、新天地のテレビ大阪で、地域密着型情報番組のロケでイキイキと働く渡邊。
どの姿が正解なのかは、見る人によって変わるところでしょう。
ドキュメンタリーとは?
東海テレビ報道部を1年7ヶ月に渡って取材・撮影しています。
先にテレビ放映され、映画化の際に再編集をし、長編ドキュメンタリー映画となりました。
構成も「三幕構成」に拘っています。
伏線が張られている様な場面も目立つので劇場用映画を観ている様な気分で鑑賞出来ます。
気になるのは冒頭のシーン。
最初は報道部の無断撮影を試みましたが、映りたくない等の理由で激怒され、却下。
以来、撮影の際には事前の許可が必要となりました。
そのシーンを見せられるので、打ち合わせをしてカメラのフィルター越しに作り物を見せられている気分になります。
それをドキュメンタリーと捉えられるか?が、人それぞれになるかもしれません。
「さよならテレビ」感想
放送局が一度立ち止まって、報道のあるべき姿勢を考える点は良かったと思います。
冒頭でカメラにて報道部を無断撮影したり、マイクを机の下に設置したりと、勝手な事をする場面があり、社員が注意を促し、撮影の際は許可を取る様に注意してしまいます。
ここで、純粋なドキュメンタリーの一面が崩れてしまった感が否めません。
カメラのフィルターを通すのが真のドキュメントとすれば、フィルター越しに更なるフィルターがかかった様に見えてしまうのは、損な気がします。
「真実を伝えるべき報道部の姿勢がそれか?」と言う問題提起にはなっていると見るのは、皮肉でしょうか。
「ヤラセ」と言う印象は一切無く、現場で報道姿勢に対する苦しみや悶えは強く感じ取る事が出来ます。
しかし報道に信頼が薄れている今として見ると自業自得だろうと言った、冷めた視線でどうしても見てしまいます。
マスコミを目指す若い世代や業界に従事する人達には矜持となり得るドキュメンタリーですが、部外者が見たら、言い訳程度にしか映らないドキュメンタリーになるかもしれません。
「さよならテレビ」評価
報道機関が襟を正す意味で、自らを裸にする様なドキュメンタリーを制作する姿勢は共感します。しかし、どこまで一般のリスナーに共感出来るか?と考えたら、甚だ疑問です。
社会全体が不景気で貧困層が増える程、政権は大衆をコントロールし易く、独裁政治に踏み切り易いとの説もあります。
言論・報道の自由を手中に出来る事でマスメディアによる情報統制も可能になります。
マスメディアは本来、政権の監視役に徹しなければいけなく、決して政権側に忖度してはいけません。
「さよならテレビ」の中で共謀罪の危険性を真正面から捉えようとして、煮え切らない結末を迎えています。
報道機関の矜持を試される映画ですが、今、歩道機関が置かれている現状を知る事が出来る作品とも言えます。
「さよならテレビ」動画配信予定はある?
ドキュメンタリー映画「さよならTV」の動画配信予定やレンタルはあるのでしょうか?
調べた結果、残念ながら「さよならTV」の動画配信やレンタルは予定されていません。
理由として「さよならTV」をはじめ、東海テレビが世に出した映画「眠る村」「ヤクザと憲法」「人生フルーツ」など過去の作品が動画配信やDVD等のレンタル化されたことが無いためです。
劇場公開が再開されるのを待って、是非映画館まで足を運びましょう。