今回スポットライトを当てる映画は2019年3月22日公開された『ブラック・クランズマン

『スパイク・リー』監督の映画です。

キャストには元アメリカンフットボールの選手である『ジョン・デヴィット・ワシントン」とスターウォーズシリーズや、近年話題になったクリストファーノーラン監督作品『沈黙-サイレンス-』で主役を務めた『アダム・ドライバー』が抜擢。

2019年アカデミー賞脚色賞、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した、実話に基づくストーリーです。

『ブラック・クランズマン』あらすじ

舞台は1979年、アメリカ・コロラド州の警察署で初の黒人警察官に採用されたロン・ストールワース(ジョン・デヴィット・ワシントン)は、白人警官たちに冷たく扱われながらも働いていました。

ある日ロンは新聞の記事でKKKのメンバー募集の記事を見つけ、なんとなく電話をかけてしまいます。

自身が黒人でありながらも電話越しに黒人差別を発言したり、上手く白人至上主義者になりすましたロンは、KKKの内部調査を行う潜入捜査隊に抜擢されました。

しかし黒人であるロンがKKKの会員と直接会うことは出来ません。

そこで目をつけられたのが同僚の白人刑事フリップ・ジマーマン(アダム・ドライバー)。

ロンが電話、直接会うときはフリップ。

二人はタッグを組み、二人一役での潜入捜査がはじまります。

電話の声と直接会った時の声が違うと疑いをかけられたり、フェリックス(ヤスペル・ぺーコネン)を筆頭になかなか一筋縄ではいかないとても慎重なKKK会員たちですが、二人の巧みな作戦によりいよいよKKKの本メンバーに認められます。

そして直接対決。KKKの悪事を暴いていきます。

『ブラック・クランズマン』ラスト(ネタバレあり)

過激派集団KKKに怪しまれながらも入会したフリップの入会式と儀式が行われます。

同日その裏では、フェリックス率いるグループが黒人排除のためテロを起こす計画を練っていました。

ロンは警官として、何も知らないKKK上部の護衛に配置されました。

初めて二人が同時に同じ場所にいることになります。

黒人嫌いのKKK会員達はロンが会場にいることに嫌悪感と不信感を抱きます。

そしてついに、一番感の鋭いフェリックスがフリップの正体に気づき、ワザとらしく近寄ってきて会食中皆の前で本名で呼ぶのです。

焦るフリップですが、テロ計画で爆弾の設置を頼んでいたフェリックスの妻(コニー)からの電話で、フェリックスは退席し、なんとか危機を乗り越えました。

ホッとしたフリップですが、テロ計画に何か問題があったと感づきすぐ後を追います。

ロンが護衛を離れ車を走らせていると、恋人(パトリスという黒人女性)の家のポストにどう見ても入らない大きさの爆弾を仕掛けようとしているコニーを見つけます。

コニーは焦りポストを諦め、パトリスの車の下に爆弾を仕掛けることにしました。

ロンは急いで車を降りてコニーを取り押さえると、騒ぎを聞きつけたパトリスが家から出てきます。

会場から来たフェリックス達も到着し、妻が勝手に爆弾の仕掛ける場所を変えてるとも知らず、パトリスの車の隣で爆弾のスイッチを押します。

吹き飛ぶフェリックス達。

フェリックを追って会場を出ていたフリップも到着し、ロンを解放します。

解放されたロンはコニーを逮捕し、KKKの内部事情も暴いたロンは一躍有名な警察官になりました。

『ブラック・クランズマン』の見どころ2点

ブラック・クランズマンの見どころは大きく2点

  • どちらが悪いのか
  • スパイク・リーの見せ方

順に解説していきます。

どちらが悪いのか

大まかなストーリーは、黒人を迫害する過激派集団KKKの悪事を黒人自ら暴くというブラックジョークの効いた題材なのですが、細かく映像を見ていくとKKKが過激に黒人を排除しようとする一方で、黒人側も白人に対して決してフラットな気持ちで接していないのです。

もちろん黒人を排除する運動をしている白人に対してフラットな気持ちで接することが難しいのは当たり前です。

しかし終盤のフリップの入会式のシーンでは、過激なKKKの儀式のシーンとクロスして、「ブラックパワー」と声高らかに主張する黒人達が描かれています。

黒人が正しいというように語り掛けるシーンもあります。

これは白人と同じように、黒人側もまた、KKKを排除したい気持ちを持っている、どちらかが悪いのではなく、お互いに愚かで不器用なんだということを描いた、非常に皮肉であり、納得せざるを得ない重要なシーンだと思いました。

スパイク・リーの見せ方

スパイク・リーはもともと、人種差別や社会問題をテーマに映画を作ることの多い監督です。

今作も、予告編や序盤のストーリーなどはコメディ性がありましたが、やはりそこはスパイク・リー。

エンタメ要素の中にしっかりと社会問題を主張しています。

ラストシーン、物語が終わった時、突然にノンフィクションが突きつけられるのです。

実際に起こったデモや暴動。

その中で亡くなった人、怪我をした人、悲しむ人、怒る人、笑う人、その全てが画面上に映し出されるのです。

たった今本編で見ていた物語が突然現実になるのです。

そこで改めて私たちはいかにKKKが酷く、愚かなことをしてきたか。

それによってどれだけの犠牲者が出たか。

スパイク・リーは、映画のラストになぜ、実際の映像を流したのか。

それは、映画というエンターテイメントの中でも、何か学んでほしい。

まだ世界では人種差別や愚かな争いが存在している。

それを伝えたかったのでしょう。

『ブラック・クランズマン』感想

スパイク・リーが最後に実際にあったKKKの暴動のシーンを取り入れたことにはやはり賛否両論あるようです。

(当たり前ですが)そのシーンのおかげで世界情勢に興味を持った人、エンタメとして見に行ったのに実際の映像なんて押し付けがましい。

どちらの意見も理解できるのがこの映画のすごいところだと思います。

結局は何が正しいのかわからない。

映画自体も、感想も。

これこそがスパイク・リーが求めていた、この映画を見た人の意見なのではないかと思います。

一つの事柄、物に対して一つの側面だけではないのです。

様々な意見や見方があり、そこでぶつかり合うのは白人と黒人だけではない。

なんでもそうなのです。

私自身、”映画は教養”だと思っていますのでこういった映画は好きなのですが、その”教養”とは楽しく学ぶ事だと思うのです。

この映画はそのバランスが絶妙で、”楽しく学べる映画”なのだと思います。

ただ最後のノンフィクションシーンが入ることによって、”教養”の部分が色濃く出てしまった感も否めません。

しかしながらスパイク・リーの映画を初めて見たので、監督の作風を知るとてもいいきっかけになりました。

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