「男はつらいよ」シリーズの主要登場人物と、演じたキャストの紹介となります。

車寅次郎(渥美清)

男はつらいよで寅さんを演じる渥美清
東京・葛飾柴又生まれ。
門前に構える老舗の草団子屋「とらや」の五代目主人・車平造と芸者・菊の間に生まれる。
16歳のとき葛飾商業を中退して、的屋稼業に身を置く様になる。

短気な部分もあり、周囲とは度々喧嘩。
ルーズで適当な面もあり、旅先の旅館代や交通費を払わずに柴又へ戻り、さくらに支払わせる。
人情の厚い部分もあり、旅先でマドンナの世話を焼いたりする。
惚れっぽい部分もあり、マドンナに恋しては成就しない。

など、人間の業を素直に体現していると言えば体現している素直な性格ではあるが、周囲には常に気をかけている。
しかし、どこか憎めない。
迷惑をかけられる事が解っていても、柴又の人達は寅さんの帰りを待ち、旅先での様子を心配している。
そんな存在である。

香具師(やし)の仕事は絶対に手を抜かない。
キレとテンポのいい啖呵売は、通りがかる人を惹きつけて離さない。
普段の性格と違って、いい加減な仕事をしていないのも、車寅次郎の魅力のひとつである。

演者:渥美清について

「男はつらいよ」全作品にわたって車寅次郎を演じた渥美清は、1928年東京生まれ。
中学卒業後、工員として働きながら、テキ屋の仕事も手伝っていました。
この時に覚えた啖呵売の知識などが、車寅次郎の役作りに繋がっています。
旅回り一座の座員を経て浅草六区に辿り着き、ストリップ劇場「百万弗劇場」の専属コメディアンとなります。
やがて、浅草「フランス座」へ移籍。ここには、井上ひさしがコント作家として在籍していたり、東八郎・関敬六・谷幹一と言ったコメディアンたちが集結していました。
(後にコント55号を結成する萩本欽一と坂上二郎や、ビートたけしもフランス座で修行しました)
谷幹一・関敬六とは「スリーポケッツ」と言うお笑いトリオを結成しましたが、数ヵ月後に脱退しています。しかしこの2人との盟友関係は続き、「男はつらいよ」にも度々登場します。特に、関敬六が演じる香具師「ポンシュウ」は、当たり役です。

単独となってからはNHK「夢であいましょう」「若い季節」などのバラエティ番組でコメディアンぶりを発揮。TBSドラマ「泣いてたまるか」では、毎回様々な設定の役どころを演じ、人気を博しました。
映画では「拝啓天皇陛下様」「続・拝啓天皇陛下様」や東映での「喜劇列車シリーズ」の主演や、名作と謳われている「沓掛時次郎 遊侠一匹」で身延の朝吉として名演を見せたました、活躍の幅を広げて行きました。

そして、テレビ版「男はつらいよ」に主演し、映画シリーズへと繋がります。

シリーズ中盤の頃までは、寅さんと違うイメージの役も演じたいと、他の映画やテレビドラマにも積極的に出演していました。
しかし、寅さんのイメージがどうしても強く、他の作品のイメージが付きにくくなり、ヒットもしなかった処から、徐々に出演作品も減って行きます。
渥美清自身も寅さんのイメージを壊したくないからと、意図的に他の作品への出演を辞めて行った様でした。

若い頃に肺結核に倒れて右肺を失くし、復帰後に胃腸も悪くした事もあり、健康面の管理は、かなり徹底されていたようです。

しかし、1991年に肝臓癌が見つかり、1994年には肺に転移が発覚。
シリーズ末期の頃はスタッフとの雑談や挨拶も、ままらならない状態だったそうです。
それでも「男はつらいよ」シリーズへの出演は、意欲的に続けていました。

1996年8月4日、転移性肺癌により68歳で死去。
俳優の仕事とプライベートの公私混同を一切分けていた為、自宅の場所や普段の生活を知る関係者が、殆どいませんでした。
「俺のやせ細った死に顔を他人に見せたくない。骨にしてから世間に知らせてほしい」と遺言を残しており、世間に公表されたのは、3日後の8月7日でした。
1996年9月3日には、国民栄誉賞を授与されています。

「風天」と言う俳号を持ち、多くの俳句も遺しています。
唯一の自伝「渥美清 わがフーテン人生」の著書があります。

さくら(倍賞千恵子)

寅さんの腹違いの妹。
第1作ではオリエンタル電機でキーパンチャーとして働くOLだったが、裏の工場で働く博と結婚を機に、とらやの手伝いに専念する。
一人息子の満男を産み、育てる。
兄の電車賃を立て替えたり時には迎えに旅先まで行ったりと、常にお兄ちゃんの心配をしている

演者:倍賞千恵子について

さくらを全シリーズにわたって演じた倍賞千恵子は、1941年東京生まれ。
幼少期から「のど自慢」荒らしとして有名なほど、唄の巧さには定評があります。
SKD(松竹歌劇団)を経て、映画の世界に。

全シリーズに出演したさくらは当たり役となり、代名詞にもなりました。
歌手としては「さよならはダンスの後に」などの大ヒット曲があります。
「ハウルの動く城」「天気の子」では、声優としても活躍してます。

おいちゃん(車竜造)

葛飾柴又の団子屋「とらや」(第40作「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日より『くるまや菓子舗』に改名)の六代目主人。
兄の息子だった寅さんを引き取る形になり、さくらを実の娘、満男を孫の様に面倒を見る。
寅さんと逢えばしょっちゅう喧嘩する様な中。
しかし、いつも寅さんを気にかけている存在。

おいちゃん役は3人の俳優が演じ、それぞれ個性的なおいちゃんとして親しまれました。

初代:森川信(第1作~第8作まで)

森川信は、1912年横浜市生まれのコメディアンでした。
テレビドラマの頃からおいちゃん役を演じており、映画の中での
「まくら、さくら取って来てくれ」や「あいつぁ馬鹿だねぇ」と呆れる独特のセリフが可笑しさを誘い、今でも初代おいちゃん役を推すファンが多いです。
1972年。肝硬変により、60歳で死去。
余りにもピッタリの役柄だっただけに、亡くなった時に山田洋次は、寅さんシリーズを終了しようかと悩んだそうです。

2代目:松村達雄(第9作~第15作まで)

森川信の死去に伴い、2代目を演じたのは、ホームドラマや大映ドラマシリーズでも活躍した、新劇出身の松村達雄でした。
下町の気風の良さをリアルに感じさせる役柄に変わり、寅さんとの喧嘩シーンも迫力に溢れ、新たなおいちゃん像を造り上げました。
病気により降板しますが、その後もシリーズには別の役柄で、何度か登場します。
おいちゃん役になる前の第6作にも、出演しています。

松村達雄は1914年横浜市生まれ。
数多くの映画やドラマでバイブレイヤー的存在な俳優でした。
他にも、黒澤明「まあだだよ」では主役の內田百閒を。
ドラマ「古畑任三郎」では犯人役を演じたりと、2005年に90歳で亡くなるまで、常に第一線で活躍されていました。

3代目:下條正巳(第16作~第48作・第49作特別編)

松村達雄の病気降板により3代目おいちゃん役になり、最後まで演じて親しまれたのは、同じく新劇出身の下條正巳でした。
寅さんに厳しく接しながらも、寅さんやさくらの家族を心配する、温かみのあるおいちゃん役を演じました。
それまでの2人のおいちゃんに比べると自らコメディリリーフするシーンは殆どありませんが、柴又にいるだけで安心出来るキャラクターは、末永く愛されています。

下條正巳は1915年釜山の生まれ。
新劇を経て映画・テレビに活躍の場を広げました。
好々爺のイメージが強いですが、北野武監督作品「キッズ・リターン」ではヤクザの親分役を演じ、そのギャップの差が凄みを増し、怖い存在として際立つ演技を見せています。

2004年、88歳で死去。
長男の俳優・下條アトムは本名で、その名付け親です。

おばちゃん:車つね(三崎千恵子)

普段は車竜造やさくらと共にとらやを切り盛りするが、常に寅さんの事を気にかけている、寅次郎の叔母。
マドンナの様な来客でも、得意の料理で手厚くもてなしたりと、とらやを支えている。
寅次郎の事を「寅ちゃん」と呼んでいる。

演者:三崎千恵子について

全作でおばちゃんを演じた三崎千恵子は1920年東京生まれ。
松竹演芸部に歌手として所属し、新宿にあった大衆劇場・ムーランルージュから劇団民藝に所属。
後にフリーとなって、おばちゃん役に抜擢されました。

着付け教室も開いていたほどの着物好きで、普段から和服で通していたそうです。
下條正巳と共に、松竹映画を支える名脇役の一人と言われていました。
2012年、老衰により91歳で死去。

諏訪博(前田吟)

さくらの夫。満男の父。
タコ社長が経営する「朝日印刷」で働く職工として、生計を立てている。岡山県生まれで大学教授の父を持つ。
寅さんを理論的に諭したりする場面が多いのは、その影響に寄る。

高等教育を普通に受けられる環境にいながら、父と喧嘩して高校を中退。
当てもなく新宿を彷徨っていた処でタコ社長に出逢い、工場で働かせてもらう事になった経緯がある。
常に工場からとらやが見えていた為、さくらの姿に惚れており、第1作で恋愛結婚を果たす。
満男が産まれてからは、親子関係で苦労する羽目になる。

演者:前田吟について

全作で博役を演じた前田吟は、1944年山口県生まれ。
役者を目指して俳優座研究所15期生となり、1964年のテレビドラマ「判決」でデビュー。
以来、数多くの映画・ドラマやバラエティ番組にも、幅広い活躍を続けています。

父親が新聞記者でご自身も高校中退経験があるので、博のイメージにそのまま投影されていると捉えていいのかもしれません。

諏訪満男

さくらと博の一人息子。
寅さんの甥っ子にあたり、第1作で誕生している。
子供の頃は、余計なひと言を挟んでとらやの騒動を産むきっかけを作ったりする。
高校時代は吹奏楽部でフルートを担当。浪人中に、吹奏楽部の後輩だった及川泉(演:後藤久美子)に恋をし、家出同然で、バイクに乗って佐賀まで逢いに行ったほど。

大学卒業後は靴の卸売りメーカーの営業職に就職するが、ここでも泉を追いかける事件を起こす。
シリーズ後半は、満男と泉の恋の行方に絞られて行きます...

満男を演じた俳優は、4人います。
初代は、第1作で生後3ヶ月の頃に出演した石川雅一。
2代目は、第2作から第8作。
第10作から第26作まで出演した中村はやと。
別の子役が決まっていたようですが、撮影中に泣き止まずに困り果てたスタッフが、大船撮影所の近所にある電気屋にいた、泣かない赤ちゃんを連れて来て、抜擢されたそうです。

第9作のみ、劇団の子役だった沖田康浩が、満男を演じています。

演者:吉岡秀隆について(第27作以降)

第27作より諏訪満男を演じた吉岡秀隆は、1970年埼玉県生まれ。
5歳の時「劇団若草」に入団し、子役時代からテレビ時代劇「大江戸捜査網」や映画「八つ墓村」などに出演していました。

「男はつらいよ」と並行して放映されていた倉本聰脚本のテレビドラマ「北の国から」での黒板純役が、当たり役となりました。
ドラマ「Dr.コトー診療所」では主演を果たす等、子役時代から今日まで、第一線で活躍しています。

「男はつらいよ」シリーズでは第42作以降、満男と泉の恋物語となり、主役級になりますが、初々しい若者像を見せ、シリーズを牽引する役目を充分に果たしています。

タコ社長:桂梅太郎(太宰久雄)

「とらや」の裏にある工場「朝日印刷」の社長。
毎日、会社の経営に苦しみ、余計なひと言を発しては寅さんと掴み合いの喧嘩をするのが玉に瑕。
その禿げた頭と風貌から「タコ社長」と言われて親しまれている。
家族構成は、奥さんと2兄弟2姉妹。

後に、大人となった次女「あけみ」(演:美保純)が、シリーズに登場します。
(但し第6作では「堤梅太郎」と自称している)

演者:太宰久雄について

タコ社長を演じた太宰久雄は1923年東京生まれ。
NHK放送劇団から三木鶏郎が率いていた「冗談グループ」の一員を経て、後にフリーになりました。
テレビドラマ「泣いてたまるか」で共演した渥美清との掛け合いの面白さが山田洋次の目に止まり、第1作目でタコ社長の設定が出来ました。
ドラマや映画の脇役として活躍しましたが、タコ社長のイメージが強いせいもあって、社長役でCM出演したりと、永い間親しまれました。

晩年は病と闘いながら撮影に挑んでいた為、出番は少なくなりました。
しかし、全シリーズに登場しています。
1998年、74歳で死去。

御前様(笠智衆)

柴又帝釈天(題経寺)の住職。
寅さんを子供の頃から知っており、いつも気にかけている存在。
柴又界隈の顔役でもあり、さくらやとらやの事も、常に気にかけている。

演者:笠智衆について

御前様を演じた笠智衆(本名)は1904年熊本県生まれ。
実家は山寺、父が住職と本来なら後継者になる筈でした。
しかし本人にその気がなく、俳優の道へ。

小津安二郎「東京物語」などに出演した、日本を代表する名優です。
30代から老け役を演じていた事は、有名です。
1993年3月16日、88歳で死去。
亡くなる3ヶ月前に封切られた「男はつらいよ 寅次郎の青春(第45作)」まで、出演しています。

源公(佐藤蛾次郎)

題経寺の寺男。
関西出身だが、いつのまにか柴又・帝釈天に住みこんでしまった。

寅さんの舎弟の様な立ち位置も見せつつ、時には寅さんの眼に入らない処でからかったりしている。

演者:佐藤蛾次郎について

渥美清との掛け合いが笑いを誘う源公を演じた佐藤蛾次郎は、1944年大阪府生まれ。
子役時代から活躍と芸歴が古く、1968年の山田洋次監督作品「吹けば飛ぶよな男だが(主演:なべおさみ)」でチンピラの子分に抜擢されたのを機に、テレビ版「男はつらいよ」では寅さんの子分、川島雄二郎と言う役を与えられるほどになりました。

以来、独特の個性から、映画やドラマだけでなく、バラエティ番組にも活躍の場を広げています。
また、全作に出演していると思われがちですが、『男はつらいよ 寅次郎恋歌(第8作)』の撮影直前に交通事故に遭った為、ポスターには名前が出ているものの、出演はしていません。

第10作「男はつらいよ 寅次郎夢枕」で、とらやの前を放嫁さんが結婚報告に来るシーンが出て来ます。
これは佐藤蛾次郎本人が結婚式を挙げておらず、それを知った山田洋次が、脚本を直して、2人の挙式を見せてあげようと言う配慮から生まれた場面で、奥様が演じています。

マドンナ

寅さんが旅へ出る度に、恋に落ちる相手です。大概は失恋して終わりますが、寅さんの方から見切りをつける事もあります。
「人気女優の登竜門」の様な位置づけと言っても、過言ではありません。
シリーズが続いていた頃は、マドンナが決まる度に、芸能ニュースで取り扱われていました。

その中でも特筆すべきマドンナが、リリー松岡です。

リリー松岡(本名:松岡清子)

キャバレーなどで唄うドサ周りの歌手。
網走で、自分と似た様な境遇の寅さんと知り合い、意気投合する(「第11作 寅次郎忘れな草」より)。

周囲から見れば扱いの難しい寅さんの気持ちを一番知る存在。
時には大喧嘩しながらも続く、付かず離れずの関係は、最終作まで続きました。

演者:浅丘ルリ子について

リリー松岡を演じたのは、浅丘ルリ子でした。
1940年満州生まれ。映画「緑はるかに」でデビュー。
日活アクション映画のヒロイン役等で、多くの映画に出演しました。

現在までに多くの舞台・テレビ・映画に出演しています。
ドラマ「二丁目三番地」で、共演した石坂浩二と結婚しましたが、後に離婚。
しかし、テレビ朝日系列のドラマ「やすらぎの郷」「やすらぎの刻」や、クイズ番組で共演しています。

マドンナの中で登場回数4回は、最多です。
第48作で渥美清の体調不良を察し「寅さんと結婚させてほしい」と山田洋次に訴えましたが、次回作の構想も決まっており、受け入れてもらえず。
暫くして渥美清が亡くなりました。