『藁の楯』映画が問う正義とは?命とは?法によって人は救われるのか

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「ビー・バップ・ハイスクール」の漫画家きうちかずひろが、2004年本名木内一裕で発表したデビュー小説。
「着信アリ」や「十三人の刺客」の三池崇史監督により、2013年アクション・スリラー映画として映画化された『藁の楯』は、日本テレビ放送網開局記念作品、第66回カンヌ映画祭コンペティション部門に出品されました。
列車にて護送するシーンは日本では許可が下りず、台湾高速鉄道を使用しての撮影を行うなど国をまたいでの過酷な撮影を経て仕上がった作品です。

SP役として大沢たかお、松嶋菜々子、さらに連続殺人鬼として藤原竜也の豪華共演を果たしました。
意味をなさないもの、役に立たないものを表す『藁の楯』。
雑誌「映画芸術」2013年日本映画ベストテン&ワーストテンにおいて、ワースト9位になるなど、評価が大きく割れた作品であることと、そのネーミングから興味をそそるには十分な要素を感じます。

SPという、いわば感情を押し殺し任務だけを遂行しなければならない立場での心の動きの表現に難しさを感じていたという大沢たかお、松嶋菜々子ですが、10年以上の役者としての付き合いがある二人の、息が合ったコンビネーションにも注目のエンターテイメント作品です。

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『藁の楯』あらすじ

7歳の孫を無残に殺害された政財界の大物、蜷川隆興(山崎努)は、全国民に向け「清丸国秀を殺害したものに御礼として10億円支払う」という広告を出しました。
逃亡中の犯人、清丸国秀(藤原竜也)は身の危険を感じ福岡南署に出頭し保護される対象となります。

48時間以内に東京へと移送するにあたり、警護としてSPの銘苅一基警部補(大沢たかお)と逮捕術、射撃術共にトップレベルの白岩篤子巡査部長(松嶋菜々子)が任命。
また捜査一課の奥村武警部補(岸谷五朗)と神箸正樹巡査部長(永山絢斗)、さらに福岡県警より関谷賢示巡査部長(伊武雅刀)が加わり大がかりな清丸移送計画が実行されました。
懸賞金目当てに清丸殺しを仕掛ける一般市民、武器を持ち訓練を受けた警察関係者、誰が見方で誰が敵なのか?
そもそも残虐で非情な犯罪を犯した清丸を、多数の命を犠牲にしてまで守る必要はあるのだろうか?
銘苅の使命感と、周囲の人の心の葛藤、それぞれの思う正義を描きます。

『藁の楯』あらすじネタバレ

清丸殺害の懸賞金目当てから、移送のために準備した飛行機に細工が見つかり、空路での移送は断念。
パトカーと警備車両での方法に切り替えます。
しかし、トラックの妨害により足止めをくらい、さらに蜷川氏が立ち上げた「清丸サイト」に清丸の位置が表示されていることから、警護に当たるはずの機動隊員によっても容赦ない襲撃を受けるのです。

銘苅の提案で急遽、新幹線での移送に切り替えたものの、そこでもまた、清丸サイトの位置情報は消えず、息も付けない状態が続きます。
新幹線の中での襲撃では、神箸は銃で撃たれ、命を懸けてまで守るべきなのかと言い残し、悔いを残したまま死んでしまいます。
度重なる襲撃や、裏切り者を探りながらの移送に精神面でも疲れが目立ち、人質確保の為とは言え、関谷も一般市民を殺めてしまう事態に陥ってしまいます。
その都度清丸は薄ら笑いし、皆の揺れ動く心理と死にゆく人を眺め快楽を得るのです。

1人ずつ脱落していくかのように、とうとう奥村の裏切りまでも発覚。
銘苅が一番の信頼をおいていた白岩も油断したすきに清丸に銃を奪われ、射殺されてしまうのです。
「おばさん臭かった、車の中も臭かったんだ。」と漏らす清丸に銘苅は怒りを抑えきれず銃を抜きましたが、守る価値などみじんもない事を承知の上、清丸を東京まで連れて行く任務を果たしました。

待ち伏せていた蜷川や、警察関係者に取り囲まれ、最期のあがきも虚しく清丸は連行。
懸賞金も取り下げられ、後日清丸に死刑宣告が言い渡されます。

「どうせ死刑になるならもっとやっておけばよかったかなって。」と、最後まで反省などは口にせず、清丸の事件は幕を閉じました。

『藁の楯』見どころ3点

藁の楯の見どころを3点紹介します。

懸賞金を掛けてでも殺したいほどの遺族の気持ち

もし大切な人が傷つけられたらと、考えたくもありません。
そして、遺族の気持ちがわかるなどと簡単に口にしたくもありません。
しかし、想像をはるかに超える程つらい事であることは間違いありません。

ひどい犯罪に関わってしまった遺族の悲痛の叫びを感じ、見るに堪えないその現実から目を背けたくなってしまいます。
このおぞましい犯罪を題材にしたことは深く考えさせられ、誰もが大なり小なり感じているだろう、最後まで加害者を守ろうとする体制の社会や法への疑問についても、注目すべきポイントです。

藤原竜也の演技力

舞台、映画、ドラマ、どのジャンルのどの役についても違和感なくこなしてしまう藤原竜也。
本作品の救いようもない残虐な殺人犯役も、実は彼の感情の中にこんな一面もあるのではないのかと、演技だということを忘れてしまう程引き込まれてしまうのです。

子供を見る異常な眼差し、人の気持ちをもて遊ぶ狂った人格。
ゲームのように人の痛みを楽しんでは、自分が殺されかけると不安をぶつけ取り乱す。

コロコロ変わる表情と、人の気持ちをあざけ笑う姿が清丸なのか、藤原竜也自身なのか、混乱してしまいます。
この役にふさわしい俳優であったことは言うまでもありません。
俳優としての彼の力量を見せつけられた作品
です。

本作品以外でも藤原竜也出演の作品を追って観たくなることでしょう。

永山絢斗演じる神箸の無念

若さと勢い、正義感が全身から感じられる、一番人間らしく、信用できる人間性を感じます。
こんな志を抱いている人間が、清丸の為に死んでいくことに何とも言えない後味の悪さが残ったことでしょう。

彼の死は無駄死にだったのか、それとも意味のあったものなのか。
不本意な気持ちのまま、大切な人を残して息絶えるシーンは切なく、善人から死んでいく世の中を痛々しく感じずにはいられません。
作品を鑑賞した多くの人が神箸巡査部長の死を残念に思った事でしょう。

『藁の楯』感想

一体何が正義なのでしょうか
人間としての感情に正直に従うことでしょうか。
社会の中で決められたルールにのっとって生きていくことなのでしょうか。

命の尊さ、法のあり方、そして正義についてこれ程考えさせられた作品はないかもしれません。
この犯人殺害により10億円の懸賞金をあたえるという世間を巻き込んでのありえない設定のおかげで最後まで一緒になって考えさせられたような気がします。

誰かを幸せにしたいと懸賞金目当てで清丸を殺しに来る人達、非情な事件に心痛め清丸を殺してやりたいと思う人達。
その心情を頭では理解できても、あまりに乏しい人間の感情が前面に出て、こんな世の中で良いのだろうかと自問してしまいます。

そして、大金持ちの蜷川に踊らされているゲームのようにも感じます。
結局はお金の力が人の気持ちも行動も操ることができる、という現代の社会を裏付けているようでやりきれなさが残ります。
踏み込んではいけない部分に踏み込んだ作品の強さは重く深く心にのしかかります

『藁の楯』総括

沈んだ気持ちで幕が閉じられたことでしょう。
腑に落ちない作品であることでしょう。

愛や、ハッピーエンドを感じるストーリーではありませんが、それぞれの正義を追求するにあたっては教科書のような存在の作品です。

注目されながらも、ワースト9位という評価を得た作品。
確かに、SPという職業についてのリアリティさを追求する一方で、業務や意識に対するわきの甘さを感じるシーンも多々感じ、突っ込みたくなるポイントがあることも事実です。
しかし、この作品が訴える意図はそこではありません。

近年、様々な理解しがたい犯罪が増える一方で、世間は犯罪の残虐さをののしりながらも、どこか別世界で起こる他人事のように感じてしまいます。
当然と言えば当然かもしれませんが、皆がこの問題に向き合い考える時間を割く事ができる作品だと感じます。

犯罪についての裁き、正義、本当に守るべきもの、このテーマについて考え続けていくこと自体が重要な一つなのではないでしょうか。

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